日本キリスト教団 茨木教会

ともしび 2021年12月5日 クリスマス号

「もろびとこぞりて むかえまつれ!」

クリスマス、おめでとうございます。
 今年10月に教会員のFさんが87歳で天に召されました。65歳の時に別の教会で洗礼を受けられ、2004年から茨木教会の一員として毎週共に礼拝してきました。天国に望みをおく幼子のような信仰者でした。葬儀の準備で古い教会原簿を見ていて驚きました!愛唱讃美歌の欄にポツンと一つ、「もろびとこぞりて」と書いてあったからです。新しい原簿の方にも、別の讃美歌が二つ追加されていましたが、筆頭はやはり「もろびとこぞりて」。葬儀では故人を記念して愛唱讃美歌を歌うことが多いのですが、「お葬式に、クリスマスでもないのに『もろびとこぞりて』かあ…」としばし迷いましたが、しかし、彼女は愛唱讃美歌が葬儀で歌われることを知った上で書いているのだろうから、きっと強い思い入れがあるはずだと判断し、歌うことにしました。
 その葬儀は、もちろん地上の別れの淋しさはありましたけれども、それにも勝って、天の父なる神に望みをおく明るい葬儀でした。死の黒雲を吹き散らすように、救い主イエス・キリストがお出でくださった喜びを高らかに讃美することができました。改めて振り返ってみて、Fさんもきっとそれを望んでおられたんだなあ、と感じ入った次第です。
 今なお全世界がコロナ禍のどんよりとした黒雲に覆われている状態が続いています。そうした中、今年のクリスマスは、この「もろびとこぞりて」にスポットを当てていくことにします。
 クリスマスの讃美歌の中で、「きよしこの夜」に並んで有名なのはこの「もろびとこぞりて」でしょう。私も青森教会のめぐみ幼稚園時代から、「もーろびとーこぞりてー、むかーえまーつれー、ひさしくーまちにしー、しゅはきませりー、しゅはきませりー」と歌ってきたものでした。特にこの繰り返し部分の「シュハキマセリー」はとても歯切れが良くてお気に入りでしたが…、おそらく中学生になるぐらいまでは、何を歌っているのかちっとも分かっていなかったと思います。まして教会に来たことのない方にとってはなおさらきっと謎に満ちた言葉だったと思います。
 子供の頃から歌っていた讃美歌を漢字混じりで書けば以下のようになります。
①諸人挙りて 迎えまつれ
久しく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり

②悪魔の人屋(ひとや)(獄)を 打ち砕きて
捕虜を放つと 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり

③この世の闇路を 照らしたもう
妙なる光の 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり

④萎める心の 花を咲かせ
恵みの露置く 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり

⑤平和の君なる 御子を迎え
救いの主とぞ 誉め称えよ
誉め称えよ 誉め、誉め称えよ
(「讃美歌」54年版112番)


 その後出版された『讃美歌21』の261番では、分かりやすくするためか言葉が少し変わっています。〔①迎えまつれ→いざ、むかえよ ②悪魔のひとやを→悪魔の力を ③たえなる光の→光の君なる ⑤救いの主とぞ→われらの救いと。そしてなんと4番がまるまる消えていました!〕
 それにしても、まだまだ分かりにくいかと思いますので、ちょっと味わいを損ねますが、現代風に言い直してみると…
「さあみんな、集まって、お迎えしよう~
ずーっとずっと、待ちに待った、主が来てくださった!
主が来てくださった!主が、主が来てくださった!」といった感じでしょうか。
教会員のF兄には、試しに大阪弁に翻訳してもらいました。
「わ~てらも~ あんたらも~ お迎え~しょうや~
首長う~して~ 待ってたんやで~
イェスさん 来はった~ イェスさん 来はった~ イェスさんは~ イェスさんは~来はったで~」
大阪弁も北摂、船場、河内、泉州と色々あるのでなかなか翻訳も難しいですね。
ところでこの讃美歌は、もともとは、英国の牧師で優れた讃美歌作家であったフィリップ・ドッドリッジ(1702-51)が作詞したものです。原詞の1番2番だけご紹介します。
Hark, the glad sound! the Savior comes,
the Savior promised long;
let every heart prepare a throne,
and every voice a song.

He comes the prisoners to release,
in Satan's bondage held;
the gates of brass before Him burst,
the iron fetters yield.

聞け!歓喜の声を!救い主が来ます。
長い間、約束されていた救い主が!
すべての心に(主を迎える)王座を用意しましょう、
そして賛美の歌も

彼は捕虜たちを解放するために来てくださる
-サタンの束縛に捉えられた
真鍮の門は彼の前で瞬時に開き、
鉄の足かせは砕かれる。


 英語の得意なOさんの協力を得て、直訳を載せてみました。いかがでしょう。実は原詞は7番まであるのですが、実際讃美歌になって歌われているのは、その内の4つとか5つです。私たちが歌っている「もろびとこぞりて」といささか趣が違いますね。なにより、例の、「シュハ、キ・マ・セエリー」の繰り返しですが、確かに原詞で「He comes」は7番中4回出てきますが、それを救い主の到来(誕生)を前面に打ち出し、強調し、クリスマスの讃美歌に仕上げていったのは、曲に合わせた工夫ではありますが、翻訳者の発明といってもいいのではないかと思います。このように、歌詞全体を捉まえ、それを短い気品ある言葉に凝縮させてゆく、それらは明治期の讃美歌翻訳者方の偉業だと思います。
 ところで、上記の54年版『讃美歌』の4番は、新しい『讃美歌21』では無くなっていますが、その部分だけ、また原詞をご紹介します。
He comes the broken heart to bind,
the bleeding soul to cure;
and with the treasures of His grace
to enrich the humble poor.

主は、破れた心を包み、
血がしたたるたましいを癒やされます。
そのみ恵みの宝をもって、
心が低い貧しい人々を富ませたまいます。
(大塚野百合訳)


 これについて英文学者の大塚野百合氏が、私訳を示しながら、こう語っておられます。
「主は、破れた心を包み、血がしたたるたましいを癒やされます」を文字通りに訳せば、『主は、ブロークン・ハートに包帯をし、血を流しているたましいを癒やされます』となります。詩人的な繊細さを持っていたドッドリッジは、何度もその心がブロークンになり、魂が血を流すほどの痛みを味わったことでしょうし、同時に、イエスが優しい看護婦のように、彼の心の傷を手当てしてくださるのを感じたのでしょう。また、彼の教会員に悲劇が襲い、深い悲しみに沈んでいた人を慰めるために、この言葉を書いたのかもしれません。この讃美歌の邦訳第四節に、主は、しぼんだ心に花を咲かせ、めぐみの露をおく方である、といかにも日本的に美しく書かれていますが、原文は、人間の厳しい現実を見詰めています。」(『讃美歌・聖歌ものがたり』p184大塚野百合著)
クリスマスを迎えるにあたり、静まって、ともし火を見つめるように、あらためてこの時代この世界を見つめ直してみると、ここかしこに「傷んだ心」「破れた心」ブロークンハートがあります。そして特にコロナ禍にあって、その傷口から、[孤立、閉塞、鬱屈、自閉、自壊、距離、飢え渇き、喪失]などという陰鬱な言葉が次々噴き出しています。
しかしそれは、私たちが、コロナの名をした悪魔の捕虜になってしまっている姿、サタンの術中にはまってしまっている姿ではないでしょうか。忘れてはいけません、クリスマスはすでに事実起こっているのです。すでに救い主イエス・キリストはお生まれくださり、世にお出でくださったのです。
だから、さあみんな、こぞって、主イエスを迎えましょう、陰鬱な言葉を心の部屋から追い出し、主イエスを迎え入れる場所をちゃんと用意しましょう。いや、主イエスに私たちの心の馬小屋に宿っていただき、陰鬱な言葉を追い出してもらいましょう。そうです!主イエスは、悪魔の牢獄を打ち砕き、捕虜を解放するために来てくださったのです!そして、この世の闇路を照らし、破れた心に包帯をし、血を流している魂を癒やすために、来てくださったのです!
だからこそ、今年のクリスマスも、「もろびとこぞりて」を思いっきり歌いましょう!マスク越しでいいじゃないですか。声ならぬ声であってもいいじゃないですか。胸いっぱいに賛美と感謝の思いをつのらせ、「主は来ませり!主は来ませり!主は、主は来ませり!」と天を仰ぎ、ご一緒にほめたたえましょう!
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に開放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」
ルカ4:18-19 協会共同訳
ドッドリッジはこの聖句から「もろびとこぞりて」の歌詞を書きました。
(補注)「もろびとこぞりて」の曲(アンティオーク)は、欧米の讃美歌では歌詞が“Joy to the world! the Lord is come”で歌われています。これはドッドリッジではなく、アイザック・ウォッツ(1674-1748)の作詞です。逆に欧米で「もろびとこぞりて」の歌詞、“Hark,the glad Sound! the Savior comes”は別曲で歌われています。明治期にどうしてそんなことになったのでしょう?